福井城の復元をすすめる会
結城秀康68万石築城当時の歴史的遺産を活かし、県都活性化(中心市街地活性化)と文化歴史のシンボルとしての福井城の復元整備をめざす市民活動です。
巽櫓を再建し、福井のまちの新たなシンボルに、そして福井の顔に
県庁の御本城橋を渡ろうとした時、石垣の上に写真のような巽櫓がたっていたらどうだろうか(合成写真)。これがあれば、ここがもとお城であったことは一目瞭然、御廊下橋と同じように水面に映る巽櫓の姿も絵になるし、水をたたえる内堀が今以上に存在感を高めることにもなる。
結城秀康が築城した福井城の天守は、今も天守台が残る本丸の北西隅にあった。外観四重、内部五階、高さ約100尺(約30メートル)の超高層、巨大な天守であった。ところが、寛文9年(1669)の大火で焼失し、わずか60年余でその生涯を終えた。
その後、この天守に代わって福井城のシンボルとなったのが、本丸東南隅にたつ巽櫓であった。北から子、丑、寅、卯・・と数える昔の方位で、辰巳の方角にあったから「たつみやぐら」と呼ばれたこの櫓は、寛文の焼失後、それまでの二重から三重三階の櫓として再建された。1階の広さは6間×7間(42坪)、高さは約55尺(16メートル余)あって、櫓といっても丸岡城天守より大きい。しかも明治初期に取り壊されるまで約200年もの間、福井城のシンボルとして聳え立っていたのである。
幸いにも今に伝わる古写真によって往時の巽櫓の姿がよくわかる。白漆喰壁で、屋根は丸岡城天守と同じような笏谷石瓦葺き。一重目の南面に大きな入母屋の破風、西面に小さな破風が2つ並んだ比翼入母屋がつき、三階には湾曲した唐破風屋根もみえる。もちろん屋根のてっぺんには鯱鉾ものっている。名前は櫓であるが、姿かたちはまさに天守そのものである。
私たち、福井城の復元をすすめる会は、現在の福井市の基盤にもなっている福井城をこれからの福井のまちづくりの中核に位置付け、まずはその第一歩として巽櫓の再建を目指している。そしてこの巽櫓が福井のまちの新たなシンボル、そして福井市の新たな顔になることを願っている。
福井城の復元をすすめる会
役員・事務局
名誉会長 栗田 幸雄
名誉顧問 酒井 哲夫・松原 信之
顧問 福井県会議員・福井市議会議員有志
会長 吉田 純一
副会長 岡田 章・舟澤 茂樹
事務局 横山 満之・恵美 英丸・吉中善弘
会計 三田村正明
監事 粟田 琴二・藤井 邦明
入会案内
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事務局(横山)